思い出は、誰のもの
プロカメラマンとして子どもたちの
思い出を日々記録してきた私たちも、
感染症拡大による大規模な社会的変化の
影響を強く受けることになりました。
一瞬立ち止まる機会を得た中で、
自らの価値を自問し、
冒頭の疑問を持つに至りました。
私たちカメラマンは、毎年同じ学校行事を
同じように撮ってきました。
「去年と同じだから」と特に疑問も持たず、
大きな行事だけを撮影し、
アルバムをつくってきたのです。
学校生活の思い出は、
行事がすべてなのでしょうか。
今朝の友達の笑顔、昨日の先生の言葉、
明日の理科の実験、来月のグループ発表。
多様な日常生活の中で、
子どもたちの思い出は
毎日、毎秒、積もっていきます。
そう考えた時、
私たちは気付かされました。
今まで十分な思い出を
渡せていなかったこと、
むしろ子どもたちから思い出を
取り上げてしまっていたことを。
日常の大切さに気づかず、慣例を疑うこともなく、
行事だけでいいと信じ込んでいたのです。
思い出の持ち主は、
紛れもなく子どもたちです。
思い出の価値のすべてを、何としても
子どもたちに届けなくてはいけない。
私たちはそう決心しました。
子どもたちの手で紡ぐ
プロカメラマンとしての経験から、
その方法は明らかでした。
日常を子どもたちの手で写真に収めること。
子どもたちだけの世界は、飾ることなく、
活き活きとしていて、
自然体の魅力で溢れています。
「外部の人」であるカメラマンには、
気づいていても撮ることができない
繊細な空間です。
今まで誰も入れなかったその世界に、
ヒトメモリは挑戦します。
私たちの働きかけにより、
カメラを持った子どもたちの
「世界を見つめるスイッチ」を入れます。
観察者になった子どもたちが、
自分だけの視点と感性で写真を撮り溜めて
卒業アルバムを作ります。
大切なのは、子どもたちが見ている世界を
ありのままに描くこと。
プロのように整った写真でなくても
構いません。むしろ、その方がいいのです。
自由で、型にはまらない姿こそ、
子どもたちの「らしさ」であり、
リアルだからこそ思い出深いと
私たちは考えます。
もう一つ大切なことは、子どもたちが
「表現者」になること。
真剣に考え、感性を発揮して写真を撮り、
上手くいったり、少し失敗したり、
笑ったり、次にまた考えたり。
そんな一年を経験することで、
子どもたちは自分だけの視点や個性に
だんだんと気がついて、まわりに
発信できるようになることでしょう。
子どもたち全員が等しく
表現の機会を持てることは、
非常に価値があると私たちは考えます。
そうして出来上がったアルバムは、
子どもたちにしか作れない、
世界でただ一つの宝物です。
私たちは、最高の宝物を届けたい
という思いと同時に、
日本中のすべての子どもたちに
卒業アルバムを届けたいという思いも
強く持っています。
子どもたちが写真を撮るということは、
カメラマンが現場に行かなくても
アルバムが作れるということ。
今までカメラマン派遣が難しかった
地域やクラス数、
人数などの学校に対して
思い出を届けることも、
ヒトメモリの重要な使命の一つです。
卒業アルバムが今の形になってから
100年が経ちました。
世界や日本で多くの変化が起きた今こそ、
アルバムにも、その作り手にも、思い切った変化が
必要なのだと私たちは確信しています。
ヒトメモリは、きっと100年後でも
続けられる新しいアルバムの形です。
個性で彩られた物語が
たくさん詰まった「思い出」を、
すべての子どもたちに、
これからも届けていきたい。
そんな想いのもとで、
ヒトメモリは生まれました。